人間であるが故の責任について考える

人間であるが故の責任とは

これは子どもがいるいないに関わらず、全ての人間に対して非常に重要な事です。

人間で生きていく以上、生命を汚してはならないという人類史における教えがあるからです。

関係ない話なので、あまりしませんが「The Bible(旧約聖書)」にもそんな言葉があちこちに書かれています。
つまり人間は他の人間に害を及ぼしてはいけないのです。

当然ながら子どもは大人になるまで親が責任を持って、育んでいかなければなりません。

それは自然の摂理です。

その教えに背いた人間は子どもを作る資格などあるはずもない。

私も母親に裏切られ、その事実に気が付いた一人です。

可哀想な奴だねぇ、と思うなら思ってもらって結構だが、
私はその親にされた事を一生忘れる事はないでしょう。

そして自分も同じ過ちを絶対に犯さないと心に誓いました。
親に愛を教えてもらわない子どもは、大人になっても親になれません。

それは人間という感情を持つ生命体に共通する「感受性」が培われないからです。

これは学校や施設で赤の他人からカタコトのように教わるものではありません。
それをした所で当の本人たちに分かるはずもないのです。

なぜならそれは血のつながった親から子に継承するしか本当の心に伝わらないからです。

子供にとって親は神様です。
自分が存在する証明は実親にしかできません。

だからこそ、子どもを作る覚悟とは、絶対に子どもから目を離さない事、子どもの行動・思想は親の行動・思想である事を自覚する必要があります。

一時の感情に揺れ動いて結婚をし、そのほんのわずかな恋愛でやがて見捨てる(傷ついてしまう)人間(子供たち)を生み出してほしくない・・・
子どもを作るという事はそういう事です。私が言いたいのはそういう事です。

この動画はそういう気持ちを思い出させるものでした。


とは言っても、負の連鎖は止まる事を知りません。

親が悪いからどうしろというのだ?とか、近年では「親ガチャ」という言葉と流行っているそうで、
子どもは親を選べない、という観点で言われているようです。

確かそれはあるかもしれない。

しかし人生は自分で変えるしかありません。

例え親が子どもに「愛」を注がなくとも、
我々が親になるために「愛」をめぐんでいかなければならない。

それはかつて人間を生み出した神の願いでもあったに違いありません。

手段や過程はわりとどうでもいいのかもしれません。
私も不登校から今では割と普通に日々HAPPYな生活を送っています。

本当の幸せなんてものは、その一瞬一瞬にしかなく、
継続的に幸せを掴むためには自分で努力するしかないのです。

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